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もるたん主義

国際政治学のブログ

「核なき世界」の理想と現実

オバマ大統領と「核なき世界」

 2016年5月10日、オバマ米大統領が、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に出席後の27日に広島を訪問することが決定しました。大統領就任直後の2009年4月5日にはチェコの首都プラハでの演説で、「核兵器のない世界の平和と安全保障の実現に米国が取り組むこと」を宣言し、ノーベル平和賞を受賞しています。

 「核なき世界」それ自体は真新しい思想ではありません。1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下されて以来、「核なき世界」は常に追い求められてきました。1950年ストックホルムで行われた世界平和擁護者大会、1955年以来毎年東京で行われている原水爆禁止世界大会等、核兵器を禁止する呼び掛けは平和主義運動の中核でもありました。

 オバマ大統領が「核なき世界」を提起した意義は、世界一の影響力を持つ大国の指導者が、それも世界で最初に核兵器を開発し、世界で唯一使用した国家の大統領が、これを宣言したところにあります。そして広島への訪問の決定。オバマ大統領は核軍縮運動にとってシンボリックな人物になるでしょう。

 では、この「核なき世界」を追求すること、あるいはそれを実現することによって米国の戦略的地位はどのような影響を受けるのでしょうか。今回の記事では、それをリアリスティックに検証してみたいと思います。

◆もし実現したら

  • 米国の戦略的地位の回復

 「核なき世界」で最も恩恵を受けるのは、米国です。米国は軍事革命RMA)を強力に推進し、通常兵力の分野で世界最強の地位を維持しています。その威力は他国の追随を許さず、米国と、米国以外の国々との技術的格差は圧倒的です。しかしながら、米国のこうした圧倒的な軍事的優位は、他国の戦略核によって大きく削がれているのが現状です。核保有国に対しては、米国は通常兵器におけるその潜在的な能力を発揮できずにいます。核が大規模に拡散していけば、ますます米国の戦略的地位は下降し、核を保有する弱小国の威嚇にも屈しかねなくなるでしょう。そうしたわけで、「核のない世界」は米国の戦略目的に極めて合致しているのです。

 核兵器に限らず、ナポレオンが初めて運用した国民軍、19世紀から本格的に使用されるようになった機関銃など、軍事上の大発明、言わば「魔法の杖」は自分一人だけが持っているときに絶大な威力を発揮するものです。もし自分以外にも多くの人が持つようになれば、もはや魔法の杖の優位はなくなってしまいます。だから、最初に魔法の杖を得た人が「ちょっとみんな、やっぱり魔法の杖はナシにしない?」と呼びかけているというわけです。とは言え、「核なき世界」の実現は今のところはまだ夢物語に過ぎませんから、以上の戦略的効果は取らぬ狸の皮算用のようなものだと考えて頂いてかまいません。

  • 戦争の復活?

 「核なき世界」が実現し、核戦争の脅威が除去されれば、通常戦争の脅威が高まるかもしれません。通常戦争が核戦争にエスカレートする可能性がなくなれば、政策遂行の手段としての戦争の合理性が復活するかもしれないからです。核戦争の可能性がなくなることは、少なくとも人類にとっては望ましいことです。しかし局地的には紛争が頻発する可能性が高まり、核時代よりも悲惨な大量死を見ることになるかもしれないのです。

 「核戦争になれば勝者は存在しない」という認識は恐らく北朝鮮の指導者にも共有されているでしょうが、相手が核兵力を投入しないことが明らかになれば、武力行使に対する障壁は低くなると思われます。日本と韓国に提供している米国の核の傘がなくなれば、北朝鮮武力行使への誘因は高まるでしょう。インドとパキスタン核兵器を放棄すれば、両国の国境紛争は熾烈さを増すでしょう。

 もっとも、これらの懸念は杞憂であると指摘することもできます。なぜなら、「核なき世界」が実現するような遠い将来も、今の政治情勢が変わっていないとは考えられないからです。軍事力の削減が政治的対立を緩和するのではなく、その逆で、政治的対立の緩和が軍事力を削減するのだとすれば、「核なき世界」が実現するような時代では、国家間の政治的対立は今よりずっと抑制されているかもしれません。

◆中小国は絶対に手放さない

 「核なき世界」に反対する諸国の意志は決して過小評価できません。確かに今日の世界では国際レジームは急速に整備され、国際正義や道徳といった要素も国際政治において無視できないものとなりつつあります。しかし国際政治からパワー・ポリティクスの要素が消えたわけではありません。

 特に中小国の指導者は、核兵器は大国や超大国をも威嚇し得る最も有効な道具――魔法の杖――であるとはっきり認識しています。自国の安全保障について不安を抱く指導者は、核超大国が「核なき世界」を訴えてもそれを美辞麗句としか考えないでしょう。それどころかあらゆる策を講じて核兵器を保有しようとし、「核なき世界」には決して賛同しないはずです。またすでに核兵器を保有し、脆弱な通常兵力しか持たない弱小国にとっては、「核なき世界」に賛同することは自国の武装を解除し命運を超大国の意に委ねることと等しいと言えます。

◆「核軍縮推進」と「核抑止力維持」とのジレンマ

 米国は「核なき世界」の理想を訴えながら、自国の核抑止力を維持し続けるでしょう。つまり「核なき世界」が実現するまでは、米国は決して核抑止力を放棄しないと考えられるのです。ここに「核なき世界」を目指す戦略そのものに潜むジレンマを容易に見て取れます。このジレンマは第一には「核なき世界」構築の障害を示しており、第二に米国がその他の核保有国を決して信頼し得ないことを示しています。通常兵器の分野ですでに世界最強の地位を誇っている米国でさえ核を放棄できないのに、米国よりはるかに劣る兵器体系しか持ち得ていない諸国が、どうして自国の命運を賭けて大切なカードを放棄することができるでしょうか。

  こうして、米国が核武装を解除できるのは、自国以外の全ての核保有国が核を放棄した後であり、おそらく、その他の核保有国も同様に考えているであろうというジレンマが浮き彫りになるのです。このような現状では、弱小国がみすみす護身符を手放すことを期待するのも、夢想に過ぎません。

 ◆「核なき世界」戦略から得られるもの

 「核なき世界」を目指すという戦略は、実際、非常に巧妙な戦略です。それは疑いなく世界人類の普遍的な価値の実現を謳ったものであり、それを目指すことによって、米国は国際世論を味方につけ、諸外国からのイメージ向上を期待することができます。また、もし(果てしない将来に)本当に実現されたならば、それも米国に有利な情勢を創造するでしょう。その戦略は、目的を実現する過程においても、実現した結果においても、ともに米国の利益に合致しているのです。しかし以上の考察で明らかなように、もっぱら期待できるのは「実現する過程」での利益だけなのかも知れません。

◆◆◆

第四回『「核なき世界」の理想と現実』は以上です。

最後まで読んで下さったみなさま、どうもありがとうございました。