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もるたん主義

国際政治学のブログ

「核なき世界」の理想と現実

核兵器 核抑止 核戦略 核なき世界

オバマ大統領と「核なき世界」

 2016年5月10日、オバマ米大統領が、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に出席後の27日に広島を訪問することが決定しました。大統領就任直後の2009年4月5日にはチェコの首都プラハでの演説で、「核兵器のない世界の平和と安全保障の実現に米国が取り組むこと」を宣言し、ノーベル平和賞を受賞しています。

 「核なき世界」それ自体は真新しい思想ではありません。1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下されて以来、「核なき世界」は常に追い求められてきました。1950年ストックホルムで行われた世界平和擁護者大会、1955年以来毎年東京で行われている原水爆禁止世界大会等、核兵器を禁止する呼び掛けは平和主義運動の中核でもありました。

 オバマ大統領が「核なき世界」を提起した意義は、世界一の影響力を持つ大国の指導者が、それも世界で最初に核兵器を開発し、世界で唯一使用した国家の大統領が、これを宣言したところにあります。そして広島への訪問の決定。オバマ大統領は核軍縮運動にとってシンボリックな人物になるでしょう。

 では、この「核なき世界」を追求すること、あるいはそれを実現することによって米国の戦略的地位はどのような影響を受けるのでしょうか。今回の記事では、それをリアリスティックに検証してみたいと思います。

◆もし実現したら

  • 米国の戦略的地位の回復

 「核なき世界」で最も恩恵を受けるのは、米国です。米国は軍事革命RMA)を強力に推進し、通常兵力の分野で世界最強の地位を維持しています。その威力は他国の追随を許さず、米国と、米国以外の国々との技術的格差は圧倒的です。しかしながら、米国のこうした圧倒的な軍事的優位は、他国の戦略核によって大きく削がれているのが現状です。核保有国に対しては、米国は通常兵器におけるその潜在的な能力を発揮できずにいます。核が大規模に拡散していけば、ますます米国の戦略的地位は下降し、核を保有する弱小国の威嚇にも屈しかねなくなるでしょう。そうしたわけで、「核のない世界」は米国の戦略目的に極めて合致しているのです。

 核兵器に限らず、ナポレオンが初めて運用した国民軍、19世紀から本格的に使用されるようになった機関銃など、軍事上の大発明、言わば「魔法の杖」は自分一人だけが持っているときに絶大な威力を発揮するものです。もし自分以外にも多くの人が持つようになれば、もはや魔法の杖の優位はなくなってしまいます。だから、最初に魔法の杖を得た人が「ちょっとみんな、やっぱり魔法の杖はナシにしない?」と呼びかけているというわけです。とは言え、「核なき世界」の実現は今のところはまだ夢物語に過ぎませんから、以上の戦略的効果は取らぬ狸の皮算用のようなものだと考えて頂いてかまいません。

  • 戦争の復活?

 「核なき世界」が実現し、核戦争の脅威が除去されれば、通常戦争の脅威が高まるかもしれません。通常戦争が核戦争にエスカレートする可能性がなくなれば、政策遂行の手段としての戦争の合理性が復活するかもしれないからです。核戦争の可能性がなくなることは、少なくとも人類にとっては望ましいことです。しかし局地的には紛争が頻発する可能性が高まり、核時代よりも悲惨な大量死を見ることになるかもしれないのです。

 「核戦争になれば勝者は存在しない」という認識は恐らく北朝鮮の指導者にも共有されているでしょうが、相手が核兵力を投入しないことが明らかになれば、武力行使に対する障壁は低くなると思われます。日本と韓国に提供している米国の核の傘がなくなれば、北朝鮮武力行使への誘因は高まるでしょう。インドとパキスタン核兵器を放棄すれば、両国の国境紛争は熾烈さを増すでしょう。

 もっとも、これらの懸念は杞憂であると指摘することもできます。なぜなら、「核なき世界」が実現するような遠い将来も、今の政治情勢が変わっていないとは考えられないからです。軍事力の削減が政治的対立を緩和するのではなく、その逆で、政治的対立の緩和が軍事力を削減するのだとすれば、「核なき世界」が実現するような時代では、国家間の政治的対立は今よりずっと抑制されているかもしれません。

◆中小国は絶対に手放さない

 「核なき世界」に反対する諸国の意志は決して過小評価できません。確かに今日の世界では国際レジームは急速に整備され、国際正義や道徳といった要素も国際政治において無視できないものとなりつつあります。しかし国際政治からパワー・ポリティクスの要素が消えたわけではありません。

 特に中小国の指導者は、核兵器は大国や超大国をも威嚇し得る最も有効な道具――魔法の杖――であるとはっきり認識しています。自国の安全保障について不安を抱く指導者は、核超大国が「核なき世界」を訴えてもそれを美辞麗句としか考えないでしょう。それどころかあらゆる策を講じて核兵器を保有しようとし、「核なき世界」には決して賛同しないはずです。またすでに核兵器を保有し、脆弱な通常兵力しか持たない弱小国にとっては、「核なき世界」に賛同することは自国の武装を解除し命運を超大国の意に委ねることと等しいと言えます。

◆「核軍縮推進」と「核抑止力維持」とのジレンマ

 米国は「核なき世界」の理想を訴えながら、自国の核抑止力を維持し続けるでしょう。つまり「核なき世界」が実現するまでは、米国は決して核抑止力を放棄しないと考えられるのです。ここに「核なき世界」を目指す戦略そのものに潜むジレンマを容易に見て取れます。このジレンマは第一には「核なき世界」構築の障害を示しており、第二に米国がその他の核保有国を決して信頼し得ないことを示しています。通常兵器の分野ですでに世界最強の地位を誇っている米国でさえ核を放棄できないのに、米国よりはるかに劣る兵器体系しか持ち得ていない諸国が、どうして自国の命運を賭けて大切なカードを放棄することができるでしょうか。

  こうして、米国が核武装を解除できるのは、自国以外の全ての核保有国が核を放棄した後であり、おそらく、その他の核保有国も同様に考えているであろうというジレンマが浮き彫りになるのです。このような現状では、弱小国がみすみす護身符を手放すことを期待するのも、夢想に過ぎません。

 ◆「核なき世界」戦略から得られるもの

 「核なき世界」を目指すという戦略は、実際、非常に巧妙な戦略です。それは疑いなく世界人類の普遍的な価値の実現を謳ったものであり、それを目指すことによって、米国は国際世論を味方につけ、諸外国からのイメージ向上を期待することができます。また、もし(果てしない将来に)本当に実現されたならば、それも米国に有利な情勢を創造するでしょう。その戦略は、目的を実現する過程においても、実現した結果においても、ともに米国の利益に合致しているのです。しかし以上の考察で明らかなように、もっぱら期待できるのは「実現する過程」での利益だけなのかも知れません。

◆◆◆

第四回『「核なき世界」の理想と現実』は以上です。

最後まで読んで下さったみなさま、どうもありがとうございました。

パワー分布と国際システムの安定

国際システム パワー 二極安定論 多極安定論 単極安定論 覇権安定論 戦争と平和

前回、国際システムのパワー分布にどのようなタイプがあるかというお話をしました。今回は「パワー分布と国際システムの安定性」についてのお話をしたいと思います。国際システムにおけるパワー分布(大国=極の数)は国際システムの安定と関係があるのだろうか。あるのだとしたら、どのようなパワー分布のときにシステムは安定し、また不安定になるのだろうか、というテーマです。これは戦後米国の国際政治学で長らく論争が続いてきた問題であり、あらかじめ言ってしまえば、この論争に決着はついていません。ですが誰がどのような主張を提唱したのかを概観するだけでも面白いので、紹介させて下さい。

◆均衡か不均衡か?

パワー分布とシステムの安定についての主張は二つに分けることができます。すなわち「複数の国家のパワーが均衡(拮抗)している時に安定する」という主張と、逆に「不均衡の時に安定する」という主張です。前者には多極安定論二極安定論が、後者には単極安定論覇権安定論があります。「単極」と「覇権」はしばしば互換的に使われていますが、ここでは一応区別して紹介します。

◆議論の難しさ

この議論をする上で難しいのは第一に「安定」という言葉の定義の仕方です。 「システムが安定している」という状況は何を意味するのでしょうか。最も単純には「戦争が起きていない、かつ起こりにくい状況」と捉えることができます。 つまり戦争が起こる頻度が低いということですが、しかし一度勃発した戦争が長期間続くような状況を想定すれば、頻度という概念は意味をなさなくなります。 また「頻度は高いが、小競り合い程度の小規模の紛争が頻発するような状況」を想定することもできますし*1、「戦争は起きにくいが、一度起きれば大規模な戦争 になり得る状況」を想定することも可能です。

さらに、「戦争」をどのように定義するかも問題です。システムを構成する極同士、すなわち 「大国間の戦争」と定義すると、冷戦時代、これは一度も勃発しませんでした。米国とソ連はついに直接戦火を交えることがなく、ソ連と中国の小競り合いを除けば大国間の戦争は一度も起きなかったのです。*2しかしこの大国間の戦争を「大国が関与する戦争」と拡張すると、米国が関与したベトナム戦争ソ連が関与したアフガニスタン戦争が勃発した冷戦時代はとても安定していたとは言えなくなります。

このように「安定」とは曖昧な概念であり、論者が異なった定義をすれば異なった結論が生じうることをあらかじめ知っておいて下さい。今回は様々な国際政治学者の主張を紹介したいだけですので私が改めて厳密に定義することは避け、議論の難しさを指摘するに留めておきます。その他にどのような国家を「大国」と呼ぶのか、「パワー」とは何を指すのかといった問題もありますが、これは改めて議論したいと思います。

◆多極安定論――ドイッチュ、シンガー

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同程度のパワーを有する複数の大国が並存している国際システムでは戦争は勃発しにくいという考え方です。この考え方の思想的源流は近代ヨーロッパの勢力均衡論に遡ることができます。18世紀の思想家ヒュームはヨーロッパの多様性を維持する方策として勢力均衡の原則を支持し、19世紀の歴史家ランケも、唯一つの強国――例えばルイ14世やナポレオンの時代のフランス――によるヨーロッパ支配の野望を挫くため、並びにその他の国々の独立と安全を確保する手段として均衡論を評価しました。

これを理論として整理したのがドイッチュとシンガーです。彼らによれば、大国の数が増えるほど柔軟な同盟形成が可能となるため、一国の勢力拡大を未然に防ぎ、戦争に至ることなく勢力の均衡を維持することができます。また、相互作用が増加・複雑化するのとほぼ反比例して特定の国家への関心が減少するために特定国との緊張は生じにくくなること、戦争を遂行するにあたって検討すべき要素が増すために戦争に訴えにくくなることをその根拠として挙げています。

◆二極安定論――ウォルツ

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ケネス・ウォルツは二極安定論の代表論者で、冷戦期の米ソ二極システムを肯定的に捉えました。パワーの拮抗した二つの超大国が存在している場合、注視すべき相手国がただ一ヶ国なので、政策決定者の誤認は少ない。両者とも相手国の動向についてのみ注意を集中していればよいので現状を正確に把握しやすく、相手国の対外政策にすぐに対応することができる。結果、偶発的な戦争、誤認に基づく戦争はその機会を減らす、という根拠です。

多極システムでは対応しなければならない相手国の数が多く、極の数が増すほど、政策決定者が扱わなければならない情報、検討しなければならない要素は増えていきます。例えばA、B、C、D、Eの五つの大国がある場合、Aを対象とした同盟の可能性はB+C、B+D、B+E、C+D、C+E、D+E、B+D+E、B+C+E、B+C+D、C+D+E、B+C+D+Eの11通りが考えられます。このような複雑性の高い多極システムでは、誤認や偶然による戦争勃発の可能性が高まるとウォルツは考えたのです。

◆単極安定論――オーガンスキー

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他国の追随を許さない圧倒的な超大国が存在する時に戦争の発生は最も低いというのが単極安定論です。オーガンスキーは、戦争勃発の可能性が高まるのは、勝利の可能性が見込める程度に勢力が拮抗し、戦争以外に目的を実現する手段がない時であると考えました。単極システムにおいては、超大国としては戦争を起こさなくても他国に自国の要求を飲ませることができ、小国としては戦争に訴えても勝利の可能性が見込めない。したがって戦争が勃発する可能性は低いというわけです。

◆覇権安定論と「覇権後の安定論」――ギルピンとコヘイン

覇権国が存在するとき国際秩序は安定するというのが覇権安定論ですが、ここで覇権国は単なる超大国とは区別され、「国際公共財を提供して国際社会全体の安定に貢献する国家」として定義されます。これを唱えたギルピンは、戦後米国が自国の市場を開放し、金ドル本位体制を確立させたように、覇権国が供給する公共財は覇権国自身のみならず他国にも利益をもたらすので、各国が現状の変更のために戦争に訴える誘因は減ると論じました。

ギルピンの覇権安定論に対して「覇権後の安定論」とでも言うべき国際制度論を唱えたのがコヘインです。ギルピンは国際秩序維持のために覇権国が必要であると考え、また覇権国の地位の衰退とともに今あるルールや規範、国際制度は崩壊し、新しい覇権国の登場によって再構築されると説いたのですが、それに対してコヘインは、覇権国の衰退後の世界においても一度構築された諸制度は生き延び、諸国家がそれを活用することで国際協調関係は存続すると反論しました。

◆原田至郎の実証分析

多極安定論、二極安定論、単極安定論の考え方を紹介しましたが、そのどれも理屈としてはそれなりに説得力を持ち、それらに対する反論もまた説得力を持ちます。どの考え方が正しいかを判断するには、実際の歴史と照らし合わせた実証分析が不可欠です。*3ここではユニークな実証分析として有名な原田至郎の研究を紹介したいと思います。*4原田の分析のユニークな点はパワー分布を「国際システム」全体として捉えるのではなく、海洋と大陸という二つの舞台に分けて考えたところです。これは、海空軍を主体とした海洋におけるパワー分布と、陸軍力を中心とした大陸のパワー分布が、同時期において必ずしも一致しないためです。*5

1495年から1989年までに発生した198の戦争を対象とした原田の分析では結果は以下のようになりました。

大陸

戦争の頻度 二極>多極>単極

戦争の規模 単極>多極>二極

海洋

戦争の頻度 二極>単極>多極

戦争の規模 多極>単極>二極

この結果からいえることは、第一に、海洋においても大陸においても、パワー分布が二極のとき戦争は起こりやすいが、その規模はあまり大きくならないということです。第二に、安定のための条件は戦争の発生頻度と規模とで正反対であること。例えば大陸が単極の時代では、戦争は起こりにくいが、一度起これば大規模な戦争に発展することが予想されます。そして第三に、戦争の頻度と規模の両方を最小にするようなシステム安定条件は存在しないということが明らかになりました。

原田はさらに戦争を大国間戦争、大国対非大国の戦争、非大国間戦争に分け、それぞれの発生頻度について調べたのですが、その結論は少し意外なものでした。海洋においても大陸においても、パワーの分布と大国の関与する戦争とでは、統計的な関連は見られなかったのです。パワー分布が有意な影響を与えていたのは実は非大国間の戦争でした。このことは、大国は国際システムからほとんど影響を受けずに対外政策を決定すること、国際システムの影響を受けるのはパワー分布と無関係な非大国であることを示唆しています。

それまでは「システムから影響を受けるのはシステムを構成する大国のはずである」という暗黙の了解がありました。しかし原田の研究結果は、「大国はシステムの状態如何にかかわらず、戦争をすると決めればするし、しないときはしない。システムの状態に左右されるのは極を構成しない中小国の方である」という当たり前のようで誰も唱えたことのなかった新しい仮説となったのです。

◆◆◆

第三回「パワー分布と国際システムの安定性」は以上です。

最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました。

蓮野もる。

 

 

*1:例えば17世紀後半~18世紀のヨーロッパは制限戦争の時代であり、戦争は頻発したものの、それらは比較的規模の小さいものでした。

*2:これをもって冷戦史家ジョン・ギャディスは冷戦時代は「長い平和」であったと唱えました。

*3:もっとも、実証分析によって吟味されるのはあくまでそれぞれの安定論の結論のみであって、根拠の正しさまでも吟味されるものではない点に注意しなければなりません。

*4:原田至郎「世界システム・レベルの戦争相関因子――力の分布構造と世界経済の状態」山本吉宣田中明彦編『戦争と国際システム』東京大学出版会、1992年。

*5:田中明彦は、冷戦期、大陸ではずっと二極であったが、海洋では1970年代頃まで米国の一極支配が続いており、それ以後のソ連海空軍の軍備増強に伴って二極になったと指摘しています。現在の国際システムを観察すれば、海洋においては米国の海空軍力が圧倒的な優位を誇る米国一極支配であり、大陸においてはロシアや中国の陸軍力も大きく、多極であると言えます。

ブログの方針とか

もるたん

◆はじめに

こんにちは。もるたんです。ブログの方針の説明です。テキトーに読み流して下さい。

この度、多くの方に国際政治学に対して興味をもってほしいと思い、自身の趣味も兼ねてブログを始めてみました。高校生から大人まで、たくさんの方に読んで頂ければうれしいです。

◆方針

国際政治学に関する様々な知見や複雑な世界の情勢について、わかりやすく解説したいと思っています。ただ私は専門家でも研究者でもないため、時には説明の中に誤りが含まれているかもしれません。その時はコメント欄やTwitterにてやさしく指摘して下さるとうれしいです。質問はお気軽に…と言いたいところですが、あまりにも専門的すぎて私には到底答えられない場合もあるかと思います、その時は正直に言いますので笑って許して下さい。

◆扱う内容

国際政治学・国際関係論の基本的な考え方。主要な学派と思想、理論。安全保障。国際政治経済。外交政策。国際政治史。平和学。地政学。戦略論。世界情勢や地球的諸問題の解説。本の紹介。…などを扱う予定です。なるべく平易な言葉で説明することを心掛けたいと思います(高校生で読める程度の難易度を想定しています)。

ブログを続ける期間

最初からこんなこと言うのもアレですが、たぶんそんなに長くは続かないかなーと思ってます(笑)。飽きるか忙しくなったらやめます。ネタが尽きることはあり得ませんが、先に私の体力が尽きてしまうことがあり得ます。2年か3年くらい続けられればいいなというところです。

◆私について

蓮野もる(はすの もる)と申します。2013年6月よりtwitterで活動を始めました。かつては「国際政治学たん」を名乗っていましたが、2016年3月28日より「蓮野もる」に改名しました。由来は国際政治学者ハンス・モーゲンソー(1904~1980)から。とある大学で国際政治学を学ぶ学生です(という設定の架空のキャラクターです。生みの親は苗野)。

◆最後に

「蓮野もる」もその作成者である「苗野」も、ネット上では匿名で生息しております。もし私に関して何か個人情報を知り得たとしても、某巨大掲示板twitterその他SNSなどで公開しないで頂けるとうれしいです。私のことを個人的に知っている方も、その点よろしくお願い申し上げます。(そもそも私はつまらない人間でして、公開して面白い情報は特にないです)

国際システムのパワー分布

国際政治の基本 パワー 国際システム

◆国家主権――形式的な平等

国家間の関係は、形式的には平等で対等な関係です。実質的には多くの不平等があり対等とは言えない関係がほとんどですが、形式的には平等、対等ということになっています。

そして、すべての国家は「主権」を有します。主権は対内的にはある領域における最高統治権であり、対外的には内政干渉を排する独立権です。国際政治において「国家が主権を有する」とは、一般に領域外からの支配や干渉を排除する権利をもつということを指します。

前回の話とリンクさせれば、国家間の対等な関係に加え、主権国家より上位の権威が存在しないということの必然的な帰結として、無政府状態(アナーキー)が生じるということになります。つまり国際システムは「相互に対等な、独立した諸国家が並列するシステムである」といえるでしょう。その限りで、国際関係は「ヨコ」の関係であるように見えます。

◆大国と小国――実質的な不平等

確かに国家間の関係は形式的には対等ですが、しかしその実態はとても対等であるとは言えません。有している領土や領海の面積、天然資源の量、経済規模、科学技術、教育水準、そして軍事力。国家間に配分されている資源は非常に不均等です。

例えば日本は世界第三位の経済大国であり、東京の経済規模だけでもインドネシアやオランダのGDPを上回っています。リヒテンシュタインサンマリノといった小さな国は、日本の多くの大学より、その人口も面積も小規模です。*1

諸国家に配分されている資源の著しい不均衡により、国家間に権力関係が生まれます。「パワー(権力)」を媒介にした関係が生じるのです。パワーとは何かという話を始めると終わらなくなりますので、別の機会で詳しく議論しましょう。ここではとりあえず、国家の総力や能力のことであり、軍事力や経済力や人口などの資源から構成されると考えておいて下さい。

「強い国」「弱い国」「大国」「小国」とは要するにその国がもつパワーの相対量(他国と比較した量)をイメージした表現です。強い国は紛争を自国に有利な形で解決させることができたり、弱い国に対して自国の要求を押しつけたりすることがあります。ここに、国際関係の「タテ」の関係を見出すことができます。並列関係に見える諸国家の関係には、実は階層関係があるということです。

実際のところ、この階層関係はいくつかの条約によって明文化すらされています。例えば国連安全保障理事会では、5大国が常任理事国として固定されています。さらにこの5大国は核兵器の保有を許されています。*2また国際経済や国際金融の専門機関の多くは、各加盟国の出資額に応じた加重投票制を採用しています。

◆3つの典型的なパワー分布

諸国家に配分された資源の不均衡により、国際システムにはパワー分布の偏りが生じます。「米国による一極支配」「米ソ二極構造」といった単語を見たことがある人もいるでしょう。これはまさにパワー分布の特徴を表した単語です。

パワー分布の様相は典型的には3種類が考えられます。

  • 単極構造…圧倒的なパワーをもつ1国によって支配されている国際システム。
  • 二極構造…2つの大国が傑出したパワーをもって君臨する国際システム。
  • 多極構造…同等のパワーをもつ大国が3ヶ国以上存在する国際システム。*3

の3つです。二極構造の時代として真っ先に思い浮かぶのが米ソ冷戦時代ですね。多極構造が成立していた典型例は19世紀のヨーロッパや20世紀前半の世界です。ソ連崩壊により米国が唯一の超大国として傑出した1990年代は、単極構造に極めて近い状態であったと言えるかもしれません。

国家間のパワー分布と階層関係をイメージした図が、以下の3つのピラミッドです。

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パワー分布の状況と国際システムの安定性の関係については、長く議論されています。ここで国際システムが「安定している」とは、大規模な戦争、特に世界戦争が起きていない、かつ起きにくい状況を指します。どのようなパワー分布の時、国際システムは安定するのか。この問について、様々な理論が提唱されています。いつか紹介したいと思います。

◆その他のパワー分布

上で紹介した3つのパワー分布の様相はあくまで典型的な3種であり、現実には変則的な分布がいくつか考えられます。例えば故・ハンチントン教授は「一極的多極性」という概念を示し、中国の国際政治学者も現在の国際システムの構造を「一超多強」と表現しています。これは、アメリカは依然として超大国であるが、いくつかの大国が君臨している今日の世界を的確に表しています。*4

さらにリチャード・ハースは「無極」という概念を提示しました。無極とは、少数の極にパワーが集中する多極とは異なり、数十のプレーヤーが大きなパワーを行使するシステムです。さらにそのプレーヤーは主権国家に限定されず、地域機構、多国籍企業、NGOやテロ組織など実に様々であり、パワー拡散の極地ともいえるシステムです。今日の世界は無極化が進行中であるという議論も強い説得力をもちます。

◆◆◆

第二回「国際システムのパワー分布」は以上です。

最後まで読んで下さったみなさま、どうもありがとうございました。

*1:リヒテンシュタインの人口は37286人、これは早稲田大学学部生の人数43440人より少なく、サンマリノの人口31595人は立命館大学の学部生の人数32301人より少ないのです。二国の人口はThe World Bankより2014年のデータを、大学の学生数は大学HPより2015年度のデータを引用。

*2:米国、英国、ロシア、フランス、 中国の5ヶ国が、NPT(核拡散防止条約)によって核兵器の保有を認められています。インド、パキスタンイスラエル北朝鮮の4ヶ国も核兵器を保有していますが、NPTに加盟していません。

*3:「多極」とは言うものの、10や20もの大国がひしめき合っているわけではなく、通常4~6ヶ国からなります。

*4:冷戦時代も、60年代にフランスと中国が核を保有し強い自己主張を始め、「二超多強」と呼び得る状況が見られました。

国際システムの無政府性

国際政治の基本

こんにちは、もるたんです。これより国際政治学の解説を始めたいと思います。よろしくお願いしますです。第1回は「国際システムの無政府性」について。無政府性こそ国際政治の最大の構造的特徴であり、私たちが一番最初に学ばなければならない最重要事項です。

その前に「国際システム」という用語について。国際システムとは、国家を基本単位とし、その相互作用からなる体系のことです。とりあえず大ざっぱに「諸国家からなる集合」と考えておけばよいでしょう。

◆国際システムの無政府性

国際システムの最大の特徴は何と言ってもそれが無政府状態アナーキー)のシステムであることです。国際システムが無政府状態であるとは、「諸国家より上位の権威を有し、各国に強制力を持って命令を下すことができる機関が存在しない」ということを指します。単純に言えば「世界政府なんてありません」ということです。

国内においては、私たちは政府を有します。そして物理的な暴力手段は政府の機関によって合法的に独占されています(例えば警察や機動隊は正当な理由があれば私たちを殴ったり撃ったり拘束したりすることができますが、私たち一般市民にはそうした行為は原則許されていません)。

しかし諸国家からなるシステムにおいては、物理的な暴力手段――軍事力――は誰にも(どの国にも、どの機関にも)独占されていません。国内社会において警察や裁判所が私たちに強制力をもって命令を下すことができるのと違い、国際社会においてはそのような強制力をもった機関は存在しないのです。

国際システムの無政府性、すなわち世界政府の不在。これこそが国際政治学を学ぶ人が最初に理解しなければならない、国際政治の最大の特徴です。

国際連合≠世界政府

国際連合は加盟国間の利害を調整する機関であり、決して加盟国より上位の権限を有しているわけではありません。国連憲章国連の決議には拘束力はなく*1国連は加盟国に対して決議に強制的に従わせることはできないのです。加盟国は決議の内容を履行しなかったとしても、批判はされても、何らかの強制力で罰せられることはありません。

国連のトップである事務総長も、当然ながら世界政府の大統領などではありません。米国の大統領に与えられるような拒否権や日本の首相のように議会を解散させる権限などはなく、ましてや自身の権限で動かすことのできる軍隊も持っていないのです。

◆安全保障――自助のシステム

国内においては上位の統治機構として国家あるいは政府が存在します。暴力手段は国家によって独占され、私たち一般市民は暴力を行使する権限を持ちません。それゆえ、国家権力たる警察や機動隊は時には暴力を行使して犯罪を取り締まり、暴動を鎮圧できるのです。要するに、私たちの安全は国家の組織する機関によって守られているわけです。

ところが上述の通り、国際システムにおいてはこうした上位の統治機構が存在しません。暴力手段を独占する世界政府は存在していないのです。国家の安全を日常的に守ってくれる機関は存在せず、危機が迫っても世界警察に110番をかけることはできません。とすれば、国家は自己の生存と安全をどのように守ればよいのでしょう。

答えの一つは、自助(セルフ・ヘルプ)によってです。自分の安全は自分で守るというのが国家の行動原則になります。もちろん現実には、危機が迫れば同盟国が援助してくれるケースは多いのですが、それとて確実ではありません。*2

軍事力が特定の機関に独占されない限り――それは必然的に超国家的機関になります――、この世界の無政府性は程度の変化こそあれ、質的な変化は起こり得ないでしょう。

◆国際政治とは――国内政治と比較して

最後に、国際政治とはつまるところ何なのか、これを国内政治と対比してまとめてみます。

国内政治とは、一元的な統治機構による支配を前提として、その支配のあり方を巡って展開されるものであると言えます。また、この統治機構は、軍隊や警察などの暴力手段を独占しており、これを合法的に行使することができます。

国際政治とは、国内政治におけるような一元的な統治機構を欠いた状況で、各国家の間の取引・協力・紛争という形で展開されるものであると言えます。ここでは、どの国家も暴力手段を独占していません。言い換えれば、各国家に暴力行使の権限が委ねられているというわけです。

上位の統治機構を欠いているという状況、「無政府状態」こそ国際政治の構造的特徴であり、この状況下で行われる政治が国際政治なのです。

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◆◆◆

第一回「国際システムの無政府性」は以上です。

最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。

蓮野もる。

*1:ただし安保理決議を除く。

*2:なぜなら、同盟条約の義務を強制的に履行させる機関が存在しないからです。同盟国はいつでも裏切るかもしれず、裏切った場合に同盟国を処罰する機関は存在しないのです。

もるたんだよー!

もるたん

◆あいさつ

こんにちは。もるたんです。初めましての方もいらっしゃるでしょうか。以前からずっとやりたいと思っていた国際政治学のブログをついに始めました。どうぞよろしくお願いします。

◆ブログの目的

ブログの目的は2つです。

①私の趣味と勉強のため

②多くの方に国際政治学に興味を持ってもらうため

なるべくわかりやすい解説になるよう努力します。また難易度は高校生で読める程度のものを想定しています。

◆獣医さんを目指して…

この度、中の人はとある大学の獣医学部に合格しました。かつては国際政治学の研究者を目指して勉強していた私ですが、思うところあって進路を変更しました。4月から獣医学部の新1年生になります。留年することなく順調に進めば、6年後には動物のお医者さんになれるはずです。

しかし、国際政治学に対する情熱はまったく失われていません。あくまで趣味としてですが、国際政治学の勉強はずっと続けたいと思っています。

◆アカウント名の変更について

今まで「国際政治学たん」を名乗っていましたが、本日3月28日より「蓮野もる」(はすのもる)に改名します。アカウント名が変わったからと言って活動内容が今までと変わったりするわけではありません。今まで通り「もるたん」と呼んで頂ければうれしいです(どんな呼び方でもOKです)。

◆◆◆

ではでは、国際政治学の解説ブログ「もるたん主義」のはじまりです。多くの方に読んでもらえますように。